コラム

序奏:九響と私の出会い

Text by 嬰5

眼下に広がる舞台、無数の楽器をパレットに乗せられた絵の具のように混ぜあわせ、様々な表情を導き出しながら振り続けられる1本の白棒。途方もない物語に立ち会った2時間の充足。

九州交響楽団 第283回定期演奏会(2008年4月13日、指揮:秋山和慶)で繰り広げられた音楽とその光景が、音楽の “沼” にどっぷりと浸かった今の私の原点になることとは当時露ほども思わず。

ある中学生(当時)とオーケストラとの出会いを綴りたいと思います。

書き手の自己紹介

書き手の私は、九州大学大学院芸術工学府で聴覚心理学を専攻する一介の大学院生。修了も間近の修士2年生です。

「聴覚心理学」を簡単に説明してしまうと、ヒトがただの空気の振動を「音」として知覚するにあたりどのようなルールが存在しているのか、聴覚の仕組みを探ってやろう、というものです。当然、「音楽」もその射程に入る訳で、例えば付点音符のリズムは物理的に3:1の音の長さを並べても……うわなにをするや

エヘン、ゴホン。とにかく、卒業論文や修士論文はこのように音楽と関連した分野の研究に取り組み、大学は芸術工学部音響設計学科で「音」についての文化的な側面や、マネジメント、信号処理、物理や心理など多角的に学びながら、所属サークルはオーケストラ、アルバイトは演奏会撮影の補助、時には自主企画の演奏会制作・運営に関わり、高校・中学の部活は吹奏楽と、音楽漬けの日々を過ごしてきたのでした

ファースト・コンタクト〜アルプス交響曲〜

冒頭で紹介したのは、私が初めて足を運んだ九州交響楽団(「九響」と略されて呼ばれることが多い)の演奏会の様子。母親の勤めている会社にこの演奏会の招待券が送られ、興味を持った母親が私を誘ってくれました。

当時中学2年生だった私は、吹奏楽部でホルンを吹いていたものの、当時九州で唯一のプロオーケストラであった九響をあまり認識していませんでした。しかし、プログラムに含まれる「アルプス交響曲」はホルンが活躍する曲だと母親から聞かされ、プロの音だからきっと参考になるところもあるのだろうと前向きな気持ちでアクロス福岡シンフォニーホールに向かうことになります。

九響第283回定期演奏会のチラシとパンフレット九響 第283回定期演奏会のチラシとパンフレット

 

なんと!参考にならなかった……

いいえ、これでは誤解を招きますね。

生のオーケストラの音楽は、中学生にとって参考にするしないの次元を超えたものでした

1年間吹奏楽部に所属し、それなりにCDやTVやラジオ(特にNHKの「ベストオブクラシック」は毎晩のお供でした)でプロの音を知っているつもり —少なくとも同期の部員よりはそこの知識欲は旺盛に持っていたな、と今でも思います— の生意気な中学生の思い上がりを打ち砕くには十分すぎるものでした。50名を超える弦楽器奏者が一斉に弓を動かし、木管楽器が煙の立ちそうな連符を並べ、金管が咆哮し、凄まじい風音と共にティンパニーが、バスドラムが、雷鳴が会場を揺らがす(「アルプス交響曲」にはウインド・マシーン、サンダー・マシーンという特殊な楽器が登場します。その名の通りですが、どんな楽器かは検索!)。客席で叫んでもたちまち嵐の音に飲まれてしまうのではないか、という迫力。かと思えば押し殺したような静寂。音楽ってこんなに雄弁なものなんだ

 

演奏会の非日常感もまた、印象に残るものでした。開演前のロビーコンサート、プログラムに掲載された海外の音楽事情を伝えるコラム「海外音楽事情」(今はなくなってしまいましたね)、ベージュとブラウンの品良く調和したホール内装に天井から吊るされた10個のシャンデリア、楽団員達のタキシードやドレスの装い。当時の私は中学生ながら、大人の優雅な世界に少し背伸びした気分を味わっていたのだろうな、と思い返します。

アクロス福岡シンフォニーホールのシャンデリア

 

この第283回定期演奏会は日曜日でしたが、その年の九響の定期演奏会は第283回を除いて平日開催。したがって、私が定期演奏会に足を運ぶことは習慣化には至りませんでした。私の所属していた吹奏楽部は練習がほとんど毎日行われており、休みを取りにくい雰囲気があったためです。吹奏楽部の顧問は、私の入学と時を同じく転任されてきた社会科教諭。3年時には吹奏楽コンクールの九州大会に進出、後任校では全国大会進出も達成するほどの熱心な先生でした。

九響 × 吹奏楽

そんな中、今度はその顧問から吹奏楽部員へ九響の演奏会が紹介されました。

九響スペシャル「20世紀音楽・知られざる名作集」(2008年4月28日、指揮:下野竜也)

九響 20世紀音楽・知られざる名曲集のチラシとパンフレット九響 「20世紀音楽・知られざる名曲集」のチラシとパンフレット

 

その演奏会は、伊藤康英の交響詩「ぐるりよざ」やリードの「春の猟犬」といった吹奏楽の名曲をオーケストラ編曲で九響が演奏する、というものでした。指揮は下野竜也氏、ゲストにはユーフォニアムの名手 外囿祥一郎氏(この当時、彼は航空自衛隊の音楽科隊員でした)を迎え、エレビーのユーフォニアム協奏曲を演奏するという豪華さ。第283回定期を聴きに行くために部を休むことを告げた際には、口にこそ出さないものの「え、休むの?」という顔をした顧問が、今回は部員全員に参加を勧めている。もちろん私には、演奏会に行く選択しかありませんでした。

前回の定期演奏会と比べ、吹奏楽曲をプログラムに配置していたため幾分聴き馴染みのある音楽でしたが、知っていたものとは異なる響き、それでいて前回の演奏会と同じような迫力に心踊らされたのでした。特に印象的だったのは、吹奏楽作品であったものの私が知らなかった、フサの「プラハ1968年のための音楽」。演奏会のメインに据えられたこの曲は、プラハの春(チェコスロヴァキアで起きた社会主義の改革運動)へのソ連の軍事介入に対する作曲家の憤りが込められたものです。プログラムノートで漠然とそのことを理解しつつも、目の前で繰り広げられる壮絶な音楽世界に息を呑むばかりでした。

それから

すっかり生の音楽の魅力に取り憑かれてしまった私は、以降11年間、オーケストラ、吹奏楽、アンサンブル、ソロリサイタルなど、機会と資金があれば私は率先してプロの演奏会に足を運ぶようになりました。九響の定期演奏会だけでも39回、九響の他の演奏会シリーズや他団体の演奏会を合わせると、数えるのが怖い(ので数えたことがない)ほどの演奏会パンフレットが家に保管されています。

また、「九響 × 吹奏楽」演奏会は、のちに私が制作・運営に関わる演奏会のインスピレーションの源ともなったのでした。

オケ × すい演奏会 –オーケストラと吹奏楽の融合–

オケ × すい 演奏会オケ × すい 演奏会のチラシ

この記事について

「大学院卒業を機に、九響との11年間の思い出を寄稿してみないか」と編集長にお誘いいただいたのが、この記事執筆のきっかけです。折角の機会なので、九響との思い出に留めず、九響に11年間通いながら考察を広げた日本のオーケストラ界についての所感も文章にしたいと考え、序奏・主部・後奏と名付けた3記事を練っています。

この記事は序奏(Introducition)。私の体験を通して、オーケストラの魅力をIntroduceできていれば幸いです。 

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嬰5
福岡市出身。九州大学大学院芸術工学府芸術工学専攻所属。専門は「聴覚心理学」。 卒業論文や修士論文は音楽に関連した分野、大学は芸術工学部音響設計学科で学びながら所属サークルはオーケストラ、アルバイトは演奏会撮影の補助、時に演奏会制作・運営に関わり、高校・中学の部活は吹奏楽、趣味は作編曲、と音楽漬けの日々を過ごして来た人間です。