コラム

主部:九響の魅力〜地方オーケストラの意義〜

Text by 嬰5

地方オーケストラの存在意義とはなんでしょうか?

「序奏」では、九響(九州交響楽団)との出会いを感動的に描いた私が敢えて自問します。

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地方オーケストラ概観

日本の主だった地方都市には、そこを本拠地とするプロ・オーケストラがあります

札幌市の札幌交響楽団(以下、札響)、仙台市の仙台フィルハーモニー管弦楽団(以下、仙台フィル)、金沢市のオーケストラ・アンサンブル金沢(以下、OEK)、名古屋市の名古屋フィルハーモニー管弦楽団(以下、名フィル)とセントラル愛知交響楽団(セントラル)、広島市の広島交響楽団(以下、広響)、そして福岡市の九州交響楽団(以下、九響)。

 

日本のプロオーケストラは現在25団体(日本オーケストラ連盟正会員の団体数で算出)。うち10団体は首都圏、6団体は京阪神都市圏に拠点を置いているため、日本のオーケストラは大都市圏に集中していると言えるでしょう。日本の人口は東京都周辺に集中していることから、これは自然の趨勢と言って良さそうです(世界的にもこれだけの団体数が一地域に集中しているのは珍しいらしく、これはこれで論点がありそうですが本筋から外れるので割愛)。

一方で気になるのは地方を拠点とするオーケストラです。ここでは「地方オーケストラ」と呼称しましょう(「地方オーケストラ」という表現はかつて差別的な意味合いを多少なりとも含んでいたように種々の文献から読み取れるのですが、私は「地方」に根ざした活動を行い、その音楽文化を牽引する存在として肯定的に捉えての呼び方をしています)。

プロ・オーケストラの所在地(新井賢治,日本のオーケストラの課題と社会的役割
― 東京におけるプロ・オーケストラの状況を中心に ― ,2016)

冒頭に挙げた6団体、札響、仙台フィル、OEK、名フィル、セントラル、広響、九響の拠点はそれぞれの地方における中心的な都市と言えるでしょう。では、他の都市でプロ・オーケストラを持つ都市はというと、山形や群馬を数えるのみです。日本オーケストラ連盟の準会員まで対象を広げると、静岡、奈良、岡山、高松、長崎県の大村といった都市も加わりますが、定期公演数や予算規模は正会員団体と比べかなり少なくなるのが現状です。

 

再び脱線をしかけているので、地方の中心的な都市におけるプロ・オーケストラ、特に福岡市における九州交響楽団と音楽事情に焦点を当てることにしましょう。

九州交響楽団と福岡市のクラシック音楽事情

福岡市のクラシック音楽の殿堂と言えば福岡シンフォニーホール。福岡市中央区天神1丁目1番1号に位置する「アクロス福岡」という複合施設内にそのホールはあります。ホール竣工1995年以降、九響の定期公演会場となっており、また、国内外の著名オーケストラ(以降、外来オケと呼称しましょう)も、福岡市で公演を行う際はほとんど必ず福岡シンフォニーホールを会場としています。

福岡シンフォニーホールでの演奏会開演前の様子

 

2016年4月から2019年3月の3年間を見ると、

九響は、主催公演として定期演奏会を27回、名曲・午後のオーケストラシリーズを12回、福岡シンフォニーホールで開催しています。その他にも、第九公演、依頼公演など。

一方、アクロス福岡の主催・共催する外来オケの公演23回、さらに、市民による実行委員会主催の日本フィルハーモニー交響楽団の公演年1回実施されるなど、外来オケの演奏会回数も充実しています。

 

福岡以外の地域について私が精査したことはありませんが、日本演奏連盟発行の「演奏年鑑」演奏会記録を見ると、オーケストラの公演数はプロ・オーケストラの拠点にされている都市と拠点にされていない都市において開きがあるように読み取れます(http://www.jfm.or.jp/uploads/files/2018演奏年鑑統計表_01都道府県別公演回数一覧.pdf)。

九響があるからオーケストラの演奏会供給が盛んであるのか、オーケストラの演奏会需要があるから九響が70年近く存続しているのか、ニワトリタマゴ問題は避けるとしても、相関関係は認められるのではないでしょうか。

もしも地方オケがなくなったら……

ここでシンプルな思考実験にお付き合いください。ある地方都市(K地方にある政令都市F市としましょう、人口は150万人程度)を仮定します。Fシンフォニーホールという音楽ホールは、地元のK交響楽団や外来オケの公演に好んで使われています。何らかの事情でK交響楽団が解散され、公演を行わなくなったとします。公演数はK交響楽団と外来オケとで干渉しないものとします。F市は、K交響楽団がなくなってしまったとしても外来オケの演奏会が頻繁に開催されるため、オーケストラ好きがオーケストラの生演奏に触れる機会が減るとは言え、ゼロになる訳ではありません。

では、他にどんな変化があるでしょうか?

地方オケが失われたときに変化が起こりそうなこと
  1. 音楽のクォリティ
  2. 教育への影響
  3. 供給されるプログラム

音楽のクォリティ

一つ目の変化は、音楽のクォリティではないでしょうか。

音楽ホールはそれぞれ固有の響きを持っていますから、年に何度もそのホールで演奏する地元のオーケストラの方が、外来オケよりも良い響かせ方を職人的な感覚として持っていると考えて良いでしょう。長旅の疲れとホールへの慣れがないためか、今聴いている音楽は本領ではないのだろうなと思わされた外来オケの演奏も私個人として聴いたことがあります。

指揮者とオーケストラの組み合わせにも目を向ける必要があります。それぞれのオーケストラには、音楽監督や首席指揮者などの称号を持ち、定期演奏会の多くを任せている指揮者がいます。例えば九響では、小泉和裕音楽監督が年間9回の定期演奏会のうち3〜4回を振っています。もちろん、客演指揮者にも別の魅力があり、時に爆発的な「化学変化」を耳にするのも面白いところではありますが、九響と小泉音楽監督の間に信頼関係があるからこその音楽を感じる公演も。一方、外来オケは必ずしも音楽監督と一緒に各都市を巡るとは限りません。思考実験の仮定では、このような公演に巡り会える機会は大きくその数を減らすでしょう。

教育への影響

二つ目の変化は、教育への影響です。

各地で活動しているジュニアオーケストラに地元のプロ・オーケストラメンバーが深く関わりを持っていること(例えば、九響は福岡ジュニアオーケストラ)や、地元中学校・高校の吹奏楽部員がオーケストラ団員からレッスンを受けていることは少なくありません。オーケストラ団員という雇用形態は、フリーランスの多い芸術界においては珍しくサラリーマンに近い形態であり、つまり安定を望むことができます(最近は変わってきつつあるようですが)。

単発よりも継続的なレッスンの方が、教える側も教わる側も実になる場合が多いと想像できますし、オーケストラ団員が街にいるということで、困ったときの「駆け込み寺」のように作用する可能性も起こり得ます。また、レッスンの師匠に対する属人的な興味が、オーケストラや音楽といった幅広い世界への関心に転化し、子供の芸術観・音楽観に影響を及ぼすことも考えられるでしょう。ゆくゆくはその子供達が、クラシック音楽界を様々な形で支える人材ともなるのです。東京は少子化が著しく進んでいますし、このような環境が、人口規模の大きい地方都市から喪失してしまったら……。

供給されるプログラム

三つ目の変化は、供給されるプログラムでしょう。

この3年間(だけではありませんが)九響は、頻繁に演奏されにくい作品、例えばマーラーやブルックナーといった大編成の作品を、定期演奏会において積極的に取り上げています。これは、他の地方オケのプログラムを見ても同様のことが言え、驚くべきレパートリーの多彩さを各団体が打ち出しています。

一方、同じ3年間に外来オケは、1970年生まれのコネソン作品を取り上げたブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団(2017年6月18日)、1983年生まれのソレンセン日本初演作品を取り上げたデンマーク国立交響楽団(2019年3月16日)などの例外はあるものの、そのプログラムは概して古典からロマン派のメジャーで編成が大きすぎない作品で構成されています。すなわち、ベートーヴェンの交響曲第5番、ブラームスの交響曲第1番や第4番、ドヴォルザークの交響曲第9番、チャイコフスキーの第4番や第5番といったメジャーな交響曲を中心に据え、同じくメジャーなベートーヴェン、チャイコフスキー、ラフマニノフなどのピアノ協奏曲、メンデルスゾーン、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を配するなど、互いに似通ったプログラムになることが往々にして起こります。地方オケと外来オケのこの違いがどうして生まれるのか。想像の域を出たものではありませんが、私見を述べましょう。

外来オケが拠点外の都市を公演で訪れる際は、ツアーのように期間を限定して複数都市を回る方法をとることが普通です。もし、マーラーのような大編成の作品を演奏しようとすると、大人数のエキストラを雇う必要があり、楽器運搬も大掛かりになり、そういった費用が嵩むために支出が多くなってしまいます。しかし、その支出を賄うためにチケット代を高くしてしまうと客入りが悪くなるので、この方法で収益を上げるには限度がありますね。客席数を増やす……あなた良いことに気づきましたね……しかし残念ながら2,000席程度が音楽ホールの座席数の最大値です。オーケストラのような生の演奏では、アンプとスピーカーを使って音を遠くに届けることができないので、5,000席のホールでの良質な演奏は厳しいのです。したがって、こういった条件で利益を最大化するためには、支出を小さくするしかありませんので、外来オケのレパートリーは主に2管編成で特殊な楽器も用いない、かつ世間に名の知られていそうな、ベートーヴェンやブラームス、ドヴォルザーク、チャイコフスキーが好まれると考えられそうです。

他にも論ずべき点がありそうですが、本記事では、ひとまずこの3点を地方オーケストラの存在意義としましょう。

音楽と収益

前の項の3点目で収益の話を出しました。芸術活動にそんな下賎な詮索をするな、という声も聞こえてきそうですが、音楽家は霞を食って生きているわけではありません。

そもそも、芸術活動は収益化が難しい。ことにオーケストラは演奏に際し大勢の奏者が必要とされ、その点の効率化がほとんど望めません。一般企業であれば、設備導入で生産の効率を図ることができるかもしれませんが、オーケストラでは、例えば34人ヴァイオリン奏者が必要なところを音の大きい人ヴァイオリン奏者12人にします、というような置き換えは不可能です。また、公演を達成するまでにはリハーサルという拘束時間も必ず必要となります。毎回同じ曲を演奏する訳にも行きませんし、リハーサルを削ることは芸術的にも影響が大きいでしょうから、その時間短縮も限界があります。

欧米日のオーケストラは、支援の形態こそ様々ですが、演奏収入だけで活動できるような団体はほぼ皆無でしょう。詳しく、かつ分かりやすい解説はこちら。

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もちろん地元のオーケストラもこの収益問題から逃れられる訳ではありませんが、定期会員制度によってある程度安定した収益を基盤とできることが強みとして働き、また、外来オケとの差別化の必要性からも、多彩なプログラムに繋がるのではないでしょうか。

九響定期プログラムの多彩さ

あまり楽しくない話を難しく述べてしまいました。

ここで、ここまで読んでくださった皆さんへちょっとしたプレゼントです。どん

九響 作曲家別演奏回数(執筆者が足を運んだ定期演奏会39回分のみ集計)

 

妙なグラフが出てきましたね。これがプレゼント? がっかりしましたか?

これは、「序奏」で述べました、私が聴いた九響39回分の定期演奏会について、作品数を作曲家別に集計したものです。R. シュトラウスとワーグナーの演奏回数が多いことが読み取れる一方で、エネスコ、イベール、プーランク、トマジ、シュニトケ(一人でも知っている方とは仲良くなれそうです)や、日本人作曲家、アジア系作曲家の名前も見えることがここでは重要です。変化の3点目に述べたことにも繋がりますが、外来オケのプログラムではなかなか御目に掛かることのない作曲家陣です。九響の演奏会に私が足を運ぶ基準として、「生で聴いたら面白そう」または「あまり知らない作品がプログラムに入っている」を自然と設けるようになったことも集計に影響を及ぼしていそうですが、それを差し引いても多彩と言えるのではないでしょうか。

多彩であることの魅力

今の時代、音楽を聴こうと思えば、大概の音楽を無料で(煩わしい広告が流れるときはミュートしながら)聴けてしまいます。動画視聴サイトにはオススメ動画が表示されますが、便利なことに、今聴いているものに似ているものを、世界中で集めた膨大な数の視聴履歴から「判断」して提示してくれます。おそらく、モーツァルトのピアノソナタを聴いたら、次も彼のピアノソナタかはたまた交響曲か、モーツァルトではなくても古典派作曲家の似たような作品か、そのような連鎖が続くことでしょう。なんとなくモーツァルトに興味を持って聴いてはみたものの、あんまりピンと来ないな、となってしまった人にとっては、「クラシックはなべてこうしたもの、やっぱりツマンナイな」と感じるかもしれません。

一方、オーケストラの定期演奏会(地方オーケストラに限らず)は、1年間を通してプログラムや指揮者・独奏者の多彩さを打ち出すようにシリーズとして組まれます。例えるなら、「シェフのおすすめセット」。なんとなく定期演奏会に通っていたらモーツァルトとストラヴィンスキーを一つの演奏会で聴けたり、マーラーの芳醇な響きをたっぷり浴びたその次の演奏会では涼しげなシベリウスに魂を洗われることだって起こり得ます(すべて九響での実話)。「クラシック」というものが実は一枚岩ではなくて、多様性を包含していることに気づくでしょう。このように多彩さを担保することは、クラシックのファンを獲得することにも繋がるのではないでしょうか。

 

演奏会という形で演奏を聴く際は、TVや動画サイトのようにフレームが固定されていないので、お気に入りの奏者を見つけて演奏会中ずっとその人に注目してしまうことだってできますヨ、えへ。私は九響に11年間通いながら、多くの方々の入退団を目にしてきました。退団に一抹の寂しさを覚えたり、試用期間中らしき奏者を心の中で応援して入団の報に安心したり。それはまるで、連続テレビ小説の登場人物たちを見守るような感覚。一つのオーケストラに通い続けるとそんなこともできるようになります。外来オケの公演しかない都市では、このような楽しみ方は出来ませんよね。

九響 木管楽器奏者の入退団(執筆者作成)

 

九響 金管楽器奏者の入退団(執筆者作成)

オーケストラと支援

さて、高説ぶった意見を並べるのもここまでにしましょう。この記事に辿り着くような読者諸賢はきっと定期演奏会の魅力は大なり小なり既に感じているでしょうから、ここに新規性はなく、整理を試みたという苦しい言い訳を添えます。

問題は、上記3点を始めとする地方オケないしクラシックの魅力を享受する愛好家が限定されているらしいこと。某アイドルやバンドのライヴの活況を見ていると、実はこちらがリストの後継者なのでは、と勘ぐりたくなるほどですが。

 

人口に膾炙していないのであれば、望める収益にも天井があるため寄付や助成といった支援が必要となってきます。支援を受けることで成立している芸術というものはクラシック以外にもあります。例えば、美術展や伝統芸能など。しかし、芸術を支援する場合に日本の伝統芸能に対してクラシック音楽の分が悪いのが、オーケストラは「外来」文化である(と認識されている)点です。地方オーケストラは地方公共団体に支援の多くを頼っている場合がほとんどですが、支援する側からすると、地方公共団体の一部の人にしか還元されないことへ支援をするというのは、なかなか説明が難しい訳です。

よく、ドイツやフランスのオーケストラや歌劇場が、政府や地方公共団体から存分に支援を受けているという話を聞きますが、彼らの国にとってオーケストラが伝統あるものであることに疑念を抱く人はいないでしょう。200年近い歴史が紡がれた楽団もありますし、音楽の系譜はもっと昔まで辿ることができますから。一方、日本においては、オーケストラが組織され始めてからわずか100年ほど。さらに、地方に常設のプロ・オーケストラが誕生し始めたのは約50年前(九響のプロ化も1973年です)。既に名だたる作曲家や演奏家を輩出してきた日本とはいえ、2, 3世代分程度しか音楽の系譜を遡れないのです。

であれば、オーケストラは公共性を獲得する他に、生き残る方法はないのではないでしょうか。じゃあ、どうするの?という話を後奏に続けさせていただきたいと思います。

おまけ:こんなプログラムも組んじゃう九響(褒)

私が足を運んだ九響定期39回分、印象に残っている回は少なくありません。ここでは、本文の内容を受けて、九響定期の多彩なプログラムを象徴する演奏会を5つ紹介します。

九響 第342回定期演奏会

人類史上最後の被爆地・ナガサキは九州の都市。原爆投下から70年経った2015年の夏に、あの悲劇を描いたシュニトケの作品を九州交響楽団が定期演奏会に取り上げたことの意味は大きい。反戦の意を込め創作を続けた三善晃の作品も並ぶ。バッハのコラールの美しさが、大戦の悲劇性を引き立てた。

九響 第342回定期演奏会チラシ

九響 第352回定期演奏会

福岡に所縁のある作曲家・中村滋延(九州大学大学院 名誉教授、九州大学芸術工学研究院の教授として2016年の退官まで教鞭を執っていた)の交響曲を取り上げた演奏会。「聖なる旅立ち」はインドの叙事詩『ラーマヤナ』に着想を得た作品である。第一次世界大戦の時代に書かれたニールセンの「不滅」とともに並べられることで強いメッセージ性を感じさせた。

九響 第352回定期演奏会チラシ

九響 第359回定期演奏会

ラプソディー祭! 指揮者・井上道義氏のキャラクターも相あまって、大変楽しめる演奏会となった。私はこの演奏会の楽しさを超える演奏会にまだ出会っていない。

九響 第359回定期演奏会チラシ

九響 第367回定期演奏会

注目のカーチュン・ウォン、クラリネットの名手ダニエル・オッテンザマーを招いての演奏会。モーツァルトとストラヴィンスキーという、時代も国も異なる作曲家をクラリネットという軸で繋いだプログラム。ストラヴィンスキーの「葬送の歌」は2015年に楽譜が再発見されるまで紛失したものと思われていた作品。

九響 第367回定期演奏会チラシ

九響 第382回定期演奏会

九響が定期演奏会でプロコフィエフの交響曲第5番を取り上げるのは第288回定期演奏会以来12年ぶり。他の2作品も決して一般に馴染みのある作品とは言える作品ではない。九響の「今」の実力を福岡の聴衆に体感させるとともに、クラシックの多様性を味わせた演奏会となった。

九響 第382回定期演奏会チラシ

九響 次は……

新型コロナウイルス感染症の拡大に伴って、演奏会中止が相次ぐ昨今。九響も例外ではなく、3月に開催を予定していた第383回定期演奏会東京公演吹奏楽ジョイント・コンサート等の公演中止が既に発表されている。一刻も早い事態の収束が望まれる。

4月以降の主催公演については、昨年9月30日にシーズンプログラムが公開されている。初演作品もあれば、王道作品もあり、と近年の意欲的な取り組みの目立つプログラムがますます磨かれたものになっている感想を持った。これらの公演が開催されるような日常が戻ってくることを祈っている。是非一度、シーズンプログラムを覗いてみてほしい。

九響 2020年度シーズンプログラム

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嬰5
福岡市出身。九州大学大学院芸術工学府芸術工学専攻所属。専門は「聴覚心理学」。 卒業論文や修士論文は音楽に関連した分野、大学は芸術工学部音響設計学科で学びながら所属サークルはオーケストラ、アルバイトは演奏会撮影の補助、時に演奏会制作・運営に関わり、高校・中学の部活は吹奏楽、趣味は作編曲、と音楽漬けの日々を過ごして来た人間です。