研究ノート

吹奏楽とクラシックとの間に横たわる「ミゾ」の正体を考える(1)聴き専のクラシック、吹き専の吹奏楽

Text by 漆畑 奈月(@urunazki

どうして吹奏楽の人はクラシックを聴かないのか?

コンサートホールで仕事をしていると、クラシックをよく聴く日本人の数は、概ねこの国の人口の1%として計算しろ…なんて言われたりします。大変ざっくりした数字ですが(国内に限れば)約130万人を相手にした商売をしているんだぞ、というところを、色々な試算のスタートにしているわけです。一見多い値のように見えますが、なかなか実際の購入に繋がらずやきもきすることもしばしば。高齢化の一途をたどる、この顔の見えづらい見込み顧客をどう獲得するのかを、我々は日夜考え続けています。

さて、わたしのように吹奏楽で音楽を好きになり、その後クラシック音楽産業に就いている方はたくさんおられると思いますが、非吹奏楽経験者からこんなことを言われた経験のある方も多いのではないでしょうか。

「○○○(クラシックの作曲家名)って、吹奏楽でも人気なんでしょ?だったら、吹奏楽部の学生さんたちにもっとPRしたほうが、いいんじゃないの」

かつて働いていたホールで、わたしはまさしく上記のようなことを上司に問われました。なんとなく嫌な予感を覚えましたが、ホール周辺の吹奏楽部へ公演を売り込むことに。結果は惨敗でした。手を変え品を変えルートを変えて何度か試みましたが、吹奏楽部の学生たちにチケットを買って来場してもらうのは非常に難しいことでした。チケットが無料なら行くかも、と何度も言われましたが、しかし、おそらく他の多くの主催者同様「かもしれない」なのに無料のチケットをばらまく余裕と度胸は、我々にはありませんでした。

打ちひしがれつつ、コンサートへ足を運んでくれる吹奏楽部の子たちはどこにいるんだろう。と一生懸命に考えました。だって、全日本吹奏楽連盟に登録しているだけでも14,000団体以上の吹奏楽団があり、仮に1つあたり30人の団員がいるとすれば、現役の吹奏楽団員だけでも45万人という数字になります。OB・OG層を考えると、その背後には軽く見積もっても4~5倍ほどの吹奏楽経験者がいるはずです。

――あれこれ考えに考えた結果、わたしが至った結論は、吹奏楽愛好家の大半は「吹き専」で、すべての吹奏楽愛好家が音楽を聴くことを楽しんでいるわけではないのではないか、ということでした。

「聴き専」と呼ばれる人たち

演奏をすることはないけれど、聴くのは好き。2010年初頭くらいからそうした人々を「聴き専」と呼ぶことがよく見受けられるようになりました。カラオケで人の歌を聴くのは好きだけど、自分ではあまり歌わない。ボーカロイドの曲を聴くのは好きで詳しいけど、自分で作曲するわけではない…など。聴き専というタームは、それ自体が、演奏を楽しむ層と聴取を楽しむ層を明確に区別しようという意図をはらんでいます。楽器の演奏や楽曲制作はしないものの、そのジャンルに愛着を持っているという意志を示すわけです。

クラシックの場合、オーケストラの楽器を演奏できなくても、コンサートに行く、あるいは家で録音を鑑賞するという愛好家の数はもともと多く「レコード芸術」のように在宅鑑賞者を対象にした音楽雑誌なども複数存在しています。彼らは聴き専と呼ばれるはるか以前から聴き専だったといえるでしょう。ジャズも、主に大学のジャズ研、ビッグバンドサークルなどでアマチュアとして演奏を楽しむ層より、録音媒体を通じたファンのほうが断然多いジャンルです。ロック、ポップなどにも一定数のアマチュアはいます。1990年代の“イカ天”人気など、かつてはバンドが大きなムーヴメントになっていた時代もありました。しかし全体としては圧倒的に聴き専のほうが多いでしょう。

コンサートと練習を天秤にかける人たち

さて、吹奏楽について同じように考えようとすると、これまでに挙げてきたジャンルとはちょっと異なる様相を呈します。彼らの音楽活動の大半は、演奏の練習に費やされます。数年前までは演奏会に行くことを顧問や同級生からとがめられた、という声すらありました。合奏練習に穴を開けることになるからです。(現在はそんなことをすれば保護者からすぐにクレームが飛んでくるでしょうが、自分の内部からの欲求はえてして抑え込まれやすいものですから、言葉にされずともそうした雰囲気が感じられる部活は、いまもたくさんあることと推察しています)
優れたプロの吹奏楽団は日本にもいくつかありますが、その数はオーケストラよりも少なく、オーケストラと同様集客に苦しんでいます。吹奏楽のコンサートですら吹奏楽愛好家を集めることができていないのに、クラシックがジャンル違いのところからどう頑張っても見込みのなさそうなのは明白です。

クラシックやジャズのファンが聴き専をより多く持つのに対し、吹奏楽はその逆で、聴き専よりも演奏することを楽しむ層…「吹き専」とでも呼ぶべき人々のほうが、はるかに多いのではないでしょうか。(※打楽器&コントラバス奏者の方にはすみません。便宜上、そう呼ばせてください)

そう仮定すると、色々なことに説明がつきます。彼らの土日に出かける先は、コンサートよりも、学校の音楽室や、大人の団体ならコミュニティセンターの練習場所。演奏するのが好きな人たちのためにシエナ・ウインド・オーケストラが編み出した秘策は、コンサートの最後に楽器を持参した観客と《星条旗よ永遠なれ》を合同演奏する、というパフォーマンスでした。吹奏楽愛好家にとって演奏会とは、どちらかといえば「自分が出演するもの」であって、他人の演奏を聴きに行く際は、自分の団体と同じ曲をやるから勉強しにいくとか、レッスンを受けている先生のリサイタルにいくとか、そういうことなのです。

 

もちろん、幅広い吹奏楽作品に興味を持ち、CDを買ったりコンサートに通う層がいないわけではありません。しかし、大多数は自分たちがいま取り組んでいる作品以外に、いや、取り組んでいる作品ですら、作品の詳細にはあまり興味を持っていない傾向があります。知り合いの作編曲家の先生から聞いた話ですが、若い吹奏楽部員に「この○○という曲を書いた人は、いま生きている人だと思う?」と質問してみると、ほとんどの存命中の作曲家がもうこの世にいないことにされてしまうこともあるのだとか。彼らからすれば、作曲家というのは額に入れて音楽室に飾られているものであって、自分たちと同じ時代に生きているとは思えないのでしょう。

ただ、自分もかつてはそんな吹奏楽部員のうちのひとりだったのです。音源はたまに顧問の先生から借りて聴くだけ。自分でチケットを買ってコンサートを聴きに行くなんていうのは、全く考えもつかなかったです。ホルストやA.リード、バーンズなど吹奏楽の古典に触れたのも、大人になってからのこと。これらは吹奏楽に限った話ではなく、合唱などのアマチュアの多いジャンルには共通した現象のようです。

おなじ「音楽好き」でも、違う景色を見ている

だからといって、やたらに「ほら、だから吹奏楽のやつらはだめなんだ。もっとコンサートにいって生演奏を聴くべきだ」という論でこの原稿をしめくくるつもりはさらさらありません。確かに生の演奏会を聴くことは、自分の演奏や作品理解に多大な影響をもたらします。だらだらと行われる合奏練習なんかより、よほど効き目が強いかもしれません。ただ、両方を経験したことのある皆さんに思い出してほしいのは、演奏する楽しみと、演奏を聴く楽しみの性質は異なるものだということです。わたし自身も吹奏楽部で音楽を始めましたが、ここ10年ほど楽器はほとんど触っておらず、そのかわりにたくさん聴くようになって、自分の音楽の楽しみ方が聴き専寄りになりつつあることを自覚しはじめました。演奏することから離れると、聴き方もどんどん変化しました。

たとえば演奏する楽しみとは、好きな歌をカラオケで思い切り熱唱する喜び、あるいは人前で演奏を披露して拍手をもらう高揚感などです。いっぽう、聴く楽しみは、ふとしたときに流れてきた音楽に心慰められること、手に汗握るようなエキサイティングなパフォーマンスに触れた瞬間などのことです。優れた演奏家の場合、双方が同時に成り立つことももちろんあるでしょう。しかし大多数は、残念ながらそうではありません。

 

演奏を聴くことから音楽を好きになった人と、演奏をすることで音楽の喜びに触れた人。両者は同じ音楽好きですが、音楽に対するおおもとの姿勢が異なっているように思います。どちらのほうがより優れているということはなく、聴き専と吹き専をそれぞれ違う趣味だと考えれば、よりお互いの性質に納得が行くのではないでしょうか。「吹奏楽の人が演奏会に足を運ばない」のは、聴き専と吹き専、双方が自分と同じような楽しみ方をしているのだと誤解していたからなのではないかと思うのです。

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漆畑 奈月
東京音楽大学大学院音楽教育専攻修了。在学中にサントリーホールの学生企画公募「レインボウ21」で企画採用される。現在は関東近郊のコンサートホールにて働きつつ、吹奏楽関連のレファレンスサイト BandSearchlight(https://urunatsuki.wixsite.com/bandsearchlight/blank)を運営中。